父の愛

 四旬節の第4の主日の朗読は、「放蕩息子」のたとえ(ルカ福音書15章1~3、11~32節)です。以前この日記でも、四旬節の回心について書かせていただきましたが、このたとえ話は、そのタイトルからもわかるように、放蕩息子(弟)の回心と、真面目な兄の頑なな態度を対比するように構成されています。実は、このルカの福音書15章には3つのたとえ話が宣べられていて、「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ、そして最後に「放蕩息子」のたとえと続きます。父なる神は、罪びとの滅びではなく、救いを望まれる神の心をはっきりと示されているのです。

 ところで私は、このたとえ話を読む度に、神がわたしたちに与えてくれた「自由」について考えます。財産の分け前を要求する息子(弟)に、莫大な財産を渡したらどうなるか、父親だったら容易に想像はつくと思います。でも、父は要求通りに、財産を与えます。息子は財産を有効に使うこともできたからです。財産そのものに罪はなく、それをどう使うかは、一人ひとりに任されています。全くの自由な状態で財産を生かすこともできたのです。でも、息子は過ちを犯しました。しかし、父はすっかりお見通しだった。それは、20節に、「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて哀れに思い~」とあるからです。父の大きな愛の中で、息子は生かされているのです。私たちもこの「放蕩息子」と同じように、神様の大きな愛の中で、失敗と回心を繰り返しながら、日々を過ごしているような気がします。

2016年3月7日 聖ヨゼフ学園中学・高等学校 校長 清水勝幸

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毎週日曜のミサで使われるしおり「聖書と典礼」です。

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